2025年12月14日・・・反キリストに注意し交わりを保とう
こう命じるのは、人を惑わす者たち、イエス・キリストが人となって来られたことを告白しない者たちが、大勢世に出て来たからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。2ヨハネ1(1-13)教会は、どなたも歓迎されるところですが、キリストによる教会の祝福や働きが保たれるために、守るべき秩序があります。私たちが守るべき、曲げてはならないものが何であるのかをこの箇所を通して確かめましょう。
《第一に、受肉を否定するか信じるかが、神と共にあるかの分かれ目です(:7)》
キリストが人となって来られた事を「受肉」と言います。神である御子が人となって来られ、私たちの罪のために苦しみを受けて死んで復活されたことは、神の救いの根幹です。だからこそキリストは、すべての人の罪をただ一度の犠牲によって解決できるのです(ヘブル10:10)。神は、この方を私たちに与えてくださいました。だから信じるだけで、その人は一切の罪を赦され、神に受け入れられるのです。しかし、イエス・キリストが人として来られた神であることを否定する者が次々に出てきました。これが「惑わす者、反キリスト」です。ヨハネの時代には、霊は善、肉は悪と決めつけるグノーシス主義が、キリストが肉をとって生まれた事を否定し、福音を曲げていました。同様に、聖書があかししているキリストの神性と受肉と贖い、またキリストの復活を否定したり歪曲したりする異端が次々に現われています。《第二に、受肉を否定する者を受け入れてはなりません(:8-11)》
キリストの受肉を否定することは、神が私たちを愛して与えられた唯一の救い主、唯一の救いの道(使徒4:12)を否定して拒むことです。この方を拒んでしまったら、罪と死の支配のもとで滅びることになってしまいます。信じて救われた人は、救い自体は失なわれることはありませんが、キリストを証しする力を失い、天での報いを受けられなくなってしまいます(1コリント3:10-15)。キリストの教え(=福音)に留まる人は、御父も御子も持っています(9)。神に逆う教えや行いに巻き込まれないで、正しい信仰と実践に留まりましょう。それが、信仰を守り、救いを守るために必要な事です。それは、狭量な考えでなく、唯一の救いを守るために避けられない厳しさなのです。薬の処方を守らなければならないのと同じです。私たちは唯一の救いを曲げないようにしましょう(黙示録22:18-19)。《第三に、文書でなく直接話して伝える必要があります(12-13)》
文書は、大勢に広められ、自由な時間に読め、変わらないものを何度も確認できます。しかし、複雑な対立や問題がある場合には文書だけでは解決が困難です。反キリストの対応について、ヨハネはまず文書で対応の必要を伝えました。その上で彼は、詳しい状況を確認し、各自を慰め指導をするために、直接会う必要があると考えました。実際に会って交わり、指導し、共に仕える事は、手紙やメールに代えられない祝福となります。同時に会えない時にも、それぞれ祈りに覚え、音信を交わす事も大切にしましょう。最後に記者ヨハネは、共にいた多くの(霊の)「子どもたち」があいさつを託していると伝えます(13)。この手紙の背後にも、多くの兄姉の愛と祈りがありました。聖書は、個人が書いたものであっても、その背後に大勢の信仰者たちの祈りと応援と交わりがありました。教会の働きもそうです。