2025年12月7日・・・神の全能を信じ従う者となる
渡邊徹
「神にとって不可能なことは何もありません」ルカ1:37(26-38)
ルカは、御使いから受胎を告知されて戸惑うマリアの姿を記録すると同時に、神の主権に信頼し応答したマリアの姿もまた記録している(38)。エリサベツはマリアに向かって「あなたは女の中で最も祝福された方」と叫んだが(42)。この箇所を通して、神のみこころであるなら、それは必ず実現することを共に確かめよう。
《1.御使いによるマリアへの受胎告知(26-33)》
エリサベツが身ごもってから六ヶ月目に、神の御使いガブリエルがマリアのもとに遣わされた。ガリラヤのナザレは目立たず、重要視されていない町だった(ヨハネ1:46)。その町に住む処女マリアはヨセフと婚約期間中だった。この時代の基準からすれば、マリアはごく普通の女性だった。しかし、時代の基準や人間の計画とは異なる神の選びとご計画がすでに始まっていたのである。御使いが言った「おめでとう」は直訳では「喜べ」である。しかし、御使いのことばを聞いたマリアはひどく戸惑った。そんなマリアに御使いは、「恐れるな」と声をかけ、神の恵みによって、マリアが身ごもり、男の子を産むことを告げ、その子を「イエス」と名付けるようにと伝えた。32-33節は、旧約聖書の約束が成就することを意味する。イエスは大いなる者となり、いと高き方の子(神の子)と呼ばれる。
《2.マリアの信仰告白(34-38)》
壮大な神のご計画が自分を通して成就することを知ったマリアは、「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに」(34)と言う。当然であるが、神が約束されていないことや神のみこころでないことは実現しない。私たちは、神の御前にへりくだることが大切である。ことをなさるのは神であり、奇跡を起こすかどうかは、神がお決めになることである。そして、神のみこころであるなら、それは必ず実現する(イザヤ55:10-11)。しかし、マリアは主の御前に謙遜で、主のことばに従順だった。あらゆる苦難と犠牲を覚悟して、「あなたのおことばどおり、この身になりますように」(38)と神に従う信仰を告白したのである。彼女は人間の力では不可能な状況においてでさえ、主の使いのことばを信じ、子どもを産むことに同意した。
《3.神からの召命》
マリアはイエスの母になるという神からの召命に応答した。私たちも神から何らかの召しを与えられている。神に不可能はないと信じるなら、神様は人間の限界を超えて私たちを用いて下さる。マリアがしたように「わたしは主のしもべです」と告白するなら、自分が持っている力以上のもので用いられる。神の約束を信じて生きたマリアを通してイエスはお生まれになった。そしてイエスは、私たちの救いを十字架と復活によって成就された。神の約束は必ず実現する。そのことを信じ、主のみことばに従い、みことばに生きる者でありたい。不慮の事態に直面して動揺するときに、私たちの信仰、神に対する信頼も揺さぶられるかもしれない。しかしたとえ先の展望が見えなくても、全てのことを知っておられる主権者である神が共におられることこそが私たちの喜びである。