2025年10月26日・・・神がいのちを与えられるよう求めよう
だれでも、兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば、神はその人にいのちを与えてくださいます。これは、死に至らない罪を犯している人たちの場合です。しかし、死に至る罪があります。これについては、願うようにとは言いません。不義はすべて罪ですが、死に至らない罪もあります。
1ヨハ5:16-17(13-17)
記者ヨハネは、御子を信じる者が永遠のいのちを与えられる、その証拠として、神の命令を守れるように変えられ、みこころに従う祈りが日・・・々聞かれていることを確認しました。そして救いの祝福が回復するだけでなく、罪の内を歩んでいる人々が救われ、いのちを得られるよう願うよう私たちに呼びかけます。
《死に至らない罪を犯している人のため求めるならば、神はいのちを与える(16ab)》
「罪」とは、的外れ、本来のあり方から外れていることです。人は、神を愛し信頼し従い、神のすばらしさを現わす者として創造されました。それなのに、神以外のものを愛し神以外のものを神としてしまいました。罪の結果は、神との断絶(=死)です(ローマ6:23a)。しかしキリストが十字架により、罪人がいのちを得る道を開かれました。聖霊は聖書を悟らせ、悔い改めや信仰へと導き告白させ、救いを受けるよう導いてくださいます(ヨハネ16:8)。信仰には聖霊の助けが不可欠です。神に求めよ。そうすれば神がその人にいのちを与える、と神が約束されました(マタイ7:7)。
《祈って神がいのちを与えるのは死に至らない罪を犯している人だけ(16c)》
死に至る罪とは、悔い改めに導く聖霊を拒む罪です(マタイ12:32)。聖霊に逆らったら、唯一の救いの道を閉ざすことになってしまいます。死に至る罪を犯している人については、救いの願いはかなうからと勧めることはできないのです。しかし、願い祈り伝えることはするな、と禁じてはおらす、神がすべての人の救いを望んでいると聖書は伝えています(1テモテ2:4)。イエス様は十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください......」と祈られ(ルカ23:34)、ステパノは石打ちで殺される中でもとりなして、死にました(使徒7:60)。主はご自身を拒み教会を迫害していたパウロのために働きかけ、救いに導きました(1テモテ1:15)。
《神に逆うことはすべて罪だが、死に至らない罪もある(17)》
「不義」(罪の結果現われる様々な悪、暴力、誤ち、偽り、不正、害悪など)は、本来の道を外れており、すべて罪です。不義は、最初の人類から受け継がれた罪の結果、様々の形で現れています(ローマ5:12)。しかし不義を行っていても、死に至らない罪もあります。キリストの贖いによって、すべての罪が赦される希望があるのです。神が選んでくださったから、私たちは罪を悔い改めキリストを信じて救われました。また、人が罪に定められ死に至るのは、唯一の救いの道であるキリストを拒んだからです。「死に至らない罪もあります」とヨハネが告げたのはなぜでしょう。私たちは、その人の不義が死に至るかどうかは判りません。だから、すべての人の救いを願って祈り伝え働き続けるのです。主は、悪者の死を喜ばず、立ち返っていのちを得るのを願っておられます(エゼキエル18:30-32)。主に求めましょう。求める時主は、あなた、また人々を救ってくださいます(1テモテ2:6)。