2025年9月7日・・・神がまず私たちを愛してくださったから
私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。1ヨハネ4:19(16-21)
キリストを信じて神に結びつけられる救い。それが、私たちの考え方や生き方にどんなにすばらしい祝福をもたらすかを確認しましょう。
《神の愛を受け信じたことで、確信をもって歩めます(16-17)》
神は愛です。愛である方だからこそ、罪を犯した私たちを見捨てず、救うために犠牲を払われました。この神の愛を知った故に、神に背いていた私たちは、罪を悔い改め、キリストを信じることができたのです。愛により私たちは神に、また愛に結びつけられました。こうして十字架の救いにより、真実な愛が私たちの内に回復し完成しました。しかし、手術の後に、リハビリが必要なように、愛が完全にされた人は、愛を実行することで救いと愛の確信を得、またキリストのものとされたことを人々に証ししていきます。こうして、終わりの日・・・のさばきにも大胆に臨めるのです。愛を確立する過程で困難や失敗もありますが、その中でも主に守られて、完成していくのです(ピリピ2:13,3:12-14)。《神に結ばれた愛は完成する中で恐れを締め出します(18-19)》
愛は、自分の大切なものを相手のために犠牲にできる力です。愛はすべての良い賜物をもたらし実を結ばせる最強で・万能な賜物です(1コリント13:1-13)。聖さは罪を排除するので、罪ある私たちは神を恐れて近付けません。その結果神を信頼せず従わず、神以外のものを神とする罪に陥らせるのです。神から離れると罪は留まり、さばきを免れません。しかし神は愛によって罪ある者をも受け入れて私たちを聖めます。この愛により、私たちは神のさばきを恐れずに、神に近付くことができ、愛が完全になると恐れが排除されます。聖書が「全きものとなっていない」と指摘することに恐れないでください。神の愛はくじけること、私たちに失望することは決してありません。恐れがあるのは、まだ全き愛に到達していなので、愛が完成するために取り組み続けなさいと励ましているのです。神の完全な愛が与えられると「私たちは愛しています」と平安と確信をもって宣言できるようにされていきます。