2025年6月1日・・・主にとどまる者は罪を犯さない
神から生まれた者はだれも、罪を犯しません。神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。
1ヨハネ3:9(4-10)
キリストを信じたことで、私たちがキリストに留まり、神と一致して歩めることを確信としましょう。
《罪のないキリストは罪を取り除くために来られた(4-5)》
罪とは律法に違反することです(4)。律法とは、神が定めた規準、神が創造の時から定められた祝福と栄光をあらわすあり方です。それは自由意思を与えられた人間の守るべき規準であり、「神を愛し(大切にし)、人を自分と同じように愛すること」に集約されます。罪とは、創造された本来の在り方から「外れている」ことです。人は神と愛と信頼で一致して共に歩む幸いな状態から、堕ちて損なわれた状態で歩んでいます。それが「罪」です。キリストは、この罪を取り除くため、罪に支配されている人類を罪から救い出すために現われてくださいました。キリストの内には罪がありません(ヨハネ8:46)。
《キリストにとどまる者はだれも罪を犯さない(6-8)》
「キリストにとどまる」とは、キリストとつながり共に歩んでいることです。キリストは、自身にとどまることで、枝がぶどうの木にとどまって実を結ぶように、多くの実を結ぶと教えられました(ヨハネ15:4-5)。「罪を犯さない」とは、罪と反対の「神と一致して歩んでいる」、愛し愛される幸いな係わりの中に歩んでいることです。キリストは罪から私たちを救うために来られ、それを実現します(ヨハネ5:14)。主が語られたことばは、必ずその通りになることを信じましょう。人が罪から逃れられないのは、悪魔が罪と死の武器で私たちを支配しているからです。しかし、この悪魔の働きを打ち破って解放するために、神の御子が現われてくださったのです。キリストはすべての人を救おうと招いています。救いの知らせである十字架と復活の福音を聞いて、求めれば必ず信じて救われます。こばまないようにしましょう。
《罪を犯さないのは神から生まれ神と共に生きているから(9-10)》
「キリストにとどまるなら罪を犯さない」と言える根拠は、とどまる者は神から生まれており(2コリント5:17)、キリストが、神から生まれた者を罪から守っている(5:18)からです。古いいのちは、どんなに矯正・改善しても、神と共に生きることができません。しかしキリストは私たちのために、十字架で死に三日・・・目に復活して罪と死に勝利するいのちを得て信じる者に与えます(ローマ6:2-4)。信じる時、古いいのちは死に、代わにキリストのいのちに生きるのです。新しいいのちをヨハネは「神の種」と呼びます。それは、からし種のようにごく小さくとも大きく成長します(マルコ4:31-32)。キリストの働き、いのちの犠牲は、小さく見えても全世界を救う力です(ヨハネ12:24)。神の種がとどまる時、神ご自身と同じ性質を宿し、神を愛し、自分を愛するように兄弟を愛する行いとして現われるのです。この聖書の約束を心から信じて自分をゆだねる時、神のみことばの通りに変えられるのです。