2025年5月11日・・・教会の尊い礎石キリスト
聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」
1ペテロ2:6(4-9)
教会の土台の石とされたキリストが私たちのために成された働きと、私たちとこの方との結びつきについて、この箇所から確かめましょう。
《キリストは、神が選ばれた私たちのための「生ける土台石」(4-6)》
ペテロが主キリストを告白した時に、その信仰の上に自身の教会を築く宣言をしました。同様に信じ告白する弟子たちにも同じ祝福が与えられています。彼は、みことばの乳を慕い求めて、救いを確かなものとしなさいと告げました。そして、いつくしみを味わっているから「主のもとに来なさい」と招きます。人々から捨てられ死刑にされたイエスが、どうして救い主と言えるか、と人々は考えました。しかし聖書の預言の通り、人々に捨てられ十字架で死なれた「からこそ」救い主なのです(詩118:22-24,使徒4:11-12)。
《私たちはこの「土台石」の上に築かれ神の祭司とされる(5-6)》
キリストは救いのわざを成し遂げて私たちの大祭司となられました。大祭司であるキリストにより、私たちは罪が赦されて「永遠のいのち」に与ります。こうして、神に従い神に仕えることができるようにされます。さらにペテロは、信じて罪を赦され永遠のいのちを持つ者に、「生ける石として霊の家に築き上げられる」と告げます。教会は大祭司キリストと共に仕える祭司の組織体です。教会はキリストに、またキリストと共に父なる神に献げものをし(ローマ12:1-2)、祈りを献げ、賛美を献げ、教え教えられ、奉仕します。他の方々も救われ、教会に加わるようにキリストと共に尽力します。これが教会の一番の働き、伝道、宣教の働きです。キリストが祈られ、命じられた通りです(ヨハネ10:16)。キリストはまた、試練を経て確かなものとされた土台、揺るがない礎石です。この方以外のものを信頼したら、一時良くても最後には失望しなくてはならない。しかし、この方に信頼すれば、あらゆる困難の中でも取り乱すことはなく、失望しません(1コリント15:58)。
《この土台石はみことばに従い信じてこそ尊いものとなる(7-8)》
キリストは信じている者には尊い確かな拠り所ですが、信じていない人には無価値とみなされ捨てられました。主が十字架に向かう時、人々は主を見捨てて離れ、支配者はキリストをむりやり死刑に定め、群集は総督に十字架を要求しました(:7)。しかし神はこの方を死者の中からよみがえらせ、救いの土台とし、天の右の座につかせて、救いとさばきを委ねました。人々のつまずきも神のご計画でした(イザヤ53:3,10)。しかし信じたあなたがたは、神に選ばれた民、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。そうされたのは、まだ知らない方々に、キリストの栄光の救いを知らせて、救いを受けさせ、神に仕えさせるためです。キリストの救いは、だれでも受けることができますが、知らせなければ、受けることができないからです。私たちの教会もこの計画によってスタートしここまで一歩一歩守られてきました。一切の栄光を主にお返しし、心新たに主に感謝して仕えましょう。