2025年5月4日・・・主にとどまる悟りと確信
しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんから、あなたがたは教えられたとおり、御子のうちにとどまりなさい。1ヨハネ2:27(26-29)
永遠のいのちとは、神とひとつにされ永遠に共に生きる者とされること、です。キリストを信じる者は永遠のいのちを持っていることを確信しましょう。
《御子が遣わした聖霊が留まって悟らせている(26-27)》
ヨハネは、信仰を惑わす偽教師たちに、揺るがされることはないと根拠を挙げてきました。そして、キリストを信じる者には、変わらない神のみことばがあり、それを悟らせる「注ぎの油」(=聖霊)が内にあって悟らせてくださるので、人に教えてもらう必要はない、と告げます。キリストが約束された通りです(ヨハネ16:13-14)。御子が遣わした御霊は真理です。教えられた通り、御子のうちに留まれば良いのです。必要なことは、新規なことではなく、変わらない主の真理を学び実践することです。
《聖徒が成すべきことは「キリストのうちにとどまる」こと(28)》
長老であるヨハネは「子どもたち」と愛をもって「キリストのうちにとどまりなさい」と命じます。「キリストのそばに」とか「キリストが内におられる」ではなく「キリストのうちに」と書いたのは、あらゆる困難や惑わしや攻撃があっても勝利させてくださる主に、あらゆる点で守っていただき平安でありなさい、ということです。その時私たちは安心です。キリストが救いの完成の再び来られる時は困難な時代です。しかしキリストのうちにとどまることで、揺るがない確信と希望をもって待つことができます。また、キリストと再会する時に、恥じることがありません。「よくやった。良い忠実なしもべだ......」(マタイ25:21)とほめていただけます。パウロは、「主の現れを慕い求めている人には、だれにでも」主が義の栄冠を与えてくださると宣言しています(2テモテ4:8)。その時、恥じることがない、言い換えれば、「よくやった」とほめていただけます。キリストのうちにとどまるとは、キリストの教えにとどまり、どんな時にも頼ることです。
《神の正しさを知るなら、義を行う者が神から生まれていることが分かるはず(29)》
これは、どういう意味でしょうか。「神は正しい方」、罪がないだけでなく、私たちが正しい幸いな人になるよう尽力してくださる方です。このことを(体験して)知っているとは、キリストを信じて救われていることです。救われた人は、神に喜ばれる正しい生き方は、キリストにより新生しなければ不可能なことを知っています。ですから、自分や他の人がキリストの正しさを実行していることは、その人が神から生まれている(つまり救われている)証拠であることを、理解しているはずだと告げるのです。キリストの救いは、人を造り変え、良い行いの実を結ばせます。この救いの真理を受け、ここにとどまりましょう。時に、信じていない人の方が良い人に見える事があります、しかし、罪や敵を赦し、愛と希望をもって生を全うすることはキリストに救われなければ不可能です。